もしも映画『イエスタデイ』みたいに、なにかの拍子に自分の好きなバンドの存在が消えていたとしたら
映画『イエスタデイ』では、交通事故にあった売れないミュージシャンが目を覚ましたら世界中の誰もThe Beatlesのことを知らない世界になっていて、戸惑い本当にそんなことできるのかと葛藤しながらも、彼らの曲を拝借し発表したことで走り出してしまったスター街道を描いています。
ここで、ひとつ想像してみましょう。
この映画と同じことがもし我が身に降り掛かってしまったならば。
ある日目が覚めたら世界中の誰もBon Joviのことを知らない世界になっていた、もしくは、ある日目が覚めたら世界中の誰もB’zのことを知らない世界になっていた、そんなところでしょうか。
もしそうなったら、私はどうするのか。彼らの楽曲を拝借して発表する?
自分が書いたオリジナル曲ですよ、とすまし顔で?
答えは否です。否。できるわけがない。
これは道義的に盗作はできないということではなくて、知識や技術が彼らの楽曲を再現できるレベルにはないのでできない、という意味です。もし再現するに足る知識や技術を備えていたら、100%誘惑をはねのけられる自信はありません。自分はそんな強さのある清廉潔白な人間ではありません。
映画『イエスタデイ』では、主人公が売れないながらも十年間ギター一本でひとりで頑張ってきたミュージシャンだったからThe Beatlesの曲を再現できたわけで、趣味でアコースティックギターをちょろっと弾いたことのあるだけの自分に彼らの楽曲を再現するだけの知識も技術もありません。
よって、否、できない、ということになります。
せめてひとりでギター弾き語りができるほどの腕があれば誘惑にかられてしまうかもしれませんが、タブ譜がなければコードが合ってるかどうかすら自分で判断できないレベルで他人の曲をパクって発表など、夢物語でしょう。
よしんば弾き語りできたとしても、一曲弾いただけで指が痛いだの疲れただの喉がガラガラだの、こんな体力ではたった一度の数曲のステージすら完遂は無理です。
自分で無理な理由をあげつらってるだけで情けなさすぎて泣けてきますが、これが現実です。目を背けてはいけません。異世界に転生したところで、転生ボーナスがなければ自分は自分なのです。
ではどうするか。Satinのように自分ひとりだけで何もかもできないのならば、メンバーを募るしかありません。
「本格ハードロックバンドメンバー募集。当方ヴォーカル希望。作詞作曲アレンジセンス自信あります。ただ、アイデアだけは腐るほどあるのですが楽器は何ひとつ弾けず譜面に起こせないので、採譜できる方を希望します。オリジナル曲で世界で勝負しましょう!」
…我ながら胡散臭すぎる…。仮にこの募集要項を読んで応募してくる人がいたら、大丈夫なのか頭の中身を疑うべきでしょう。
ま、そのあたりの細かいことはどうでもいいでしょう。どうせ仮の話です。こんなところで細かいところをつついていても話が進みません。
どうにかこうにかメンバーが集ったとしましょう。
まあ、上手くいかずに揉めるに決まってますよね。大して歌もうまくないくせにいうことだけはいっちょまえなわけですから。プレイやアレンジへの口出しはやたら細かいくせに歌が下手。
こんなの上手くいくわけない…。衝突して喧嘩して、ひとりまたひとりと去っていくに決まってる…。
自分に天性の歌声があるならまだしも。この歌声とメロディセンスを持ってすればもしや…と夢を見させられるだけの才能があれば、口うるさいのを我慢してついてきてくれるメンバーもいるかも知れませんが。
結局、最後は自分ということですね。人のアイデアや成果を拝借したところで、最後に物をいうのは自分。自分にどれだけのものがあるか。