映画『THE FIRST SLAM DUNK』鑑賞後にEllegardenの新譜『The End Of Yesterday』を聴くと超ハマる

映画『THE FIRST SLAM DUNK』鑑賞後にEllegardenの新譜『The End Of Yesterday』を聴くと超ハマる

先日、映画『THE FIRST SLAM DUNK』二回目を観てきました。

初回鑑賞時の不満点を再確認してやっぱり原作こそ至高だなとしみじみ感じ入るつもりでいたら、まさかの二回目は初回時の不満がすべて消え去り、初回以上の面白さと感動に心を洗い流され、感動と満足と放心がないまぜになったような茫然自失に近い状態で車に戻ることになりました。

車のエンジンをかけるとカーオーディオから音楽が流れ始めます。その時に聴いていたのは、2008年に活動休止後2018年に再始動したEllegardenが16年ぶりに発売した新作『The End Of Yesterday』でした。

これがまた映画の余韻に超ハマっていてびっくりしました。

世紀の名勝負に痺れまくった緊張感の残滓が、癒されるかのように心地よく霧散してゆく…。

映画と音楽という違いはあれど、方や26年前に連載終了した超人気漫画の新作映画、方や10年ぶりに再始動した大人気バンドの16年ぶりの新作アルバムと、このふたつの作品が偶然の一致のような境遇にあったために、不思議とシンクロするような空気が醸し出される結果になったのかもしれません。

大好きな漫画の映画化とか、大好きだったバンドの復活アルバムとか、どっちもちょっと怖いもの見たさじゃないですけど、映画化とか復活とかもちろんめでたいですし嬉しいんですけど、美しい思い出が汚されるような作品だったらどうしようとか、どうせ全盛期には及ばないんだろうなとか、どうしても不安要素が勝っちゃうじゃないですか。

それがどうですか。

スラムダンクの映画は初回鑑賞時こそ名場面カットに不満タラタラでしたが二回目でその不満がすべて払拭され感動し、Ellegardenの新譜はかっこいい系の曲こそ少ないもののポップで爽やかでどこか懐かしくセンチメンタルなメロディが散りばめられていて最高でした。

結局、くよくよ思い悩んだり不安要素をあげつらってる暇があったら、実際に自分の目と耳で観たり聴いたりして判断するのが一番手っ取り早いってことなんですよね。

好きなのかどうか、さらに好きになるのか、寄る年波を感じて残念に思うのか、納得できずに憤慨するのか、まあこんなものかと受け入れるのか。

どんな感想を抱くのかは人それぞれ。

いや、タイミングの問題もあるか。

発表当時はイマイチに感じても、何年か経つと(あれ?こんなに良かったっけ?)と戸惑うこともありますからね。その逆もまた然り。それで何枚、CDを手放しては買い直したことか。

時間やお金の制約もあって、何でもかんでも観たり聴いたりできるとは限りませんが、自分の好みやこれまでの経験に基づく予測や予想は外れることもあるのだと言い聞かせつつ、一度で判断せずに間隔を開けて何度かトライするなど、なるたけ公平な視点で多くの機会を設けて作品に触れることを心がけたいものです。

連載当時、毎週毎週ジャンプを買って物語の行方を固唾を飲んで見守っていたいち読者が、20年も待たされた映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観てきた

連載当時、毎週毎週ジャンプを買って物語の行方を固唾を飲んで見守っていたいち読者が、20年も待たされた映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観てきた

タイトルに20年も映画を待っていたと書きましたけどそれは言葉のあやで、いきなりぶっちゃけますけど、最初観に行くつもりなかったんですよ。スルーするつもりでした。

というのもですね、原作が好きすぎると、アニメ化とか映画化とか興味がなくなるんですよね。

自分がどれだけ漫画『スラムダンク』に熱中していたかといいますと、当然ですけど原作コミックスは全巻持っていて何周したかわからないくらい読み込んでいますし、中学時代はサッカー部員だったんですけど給食を食べ終わると体育館に直行して空いているリングでジャンプシュートの練習をしていたくらい好きでした。昼休みにサッカーの自主練習をしたことなんて一度もないのに。

中学で部活どうするかってなったときに、運動部で球技だなとサッカーかバスケかで悩んだ末にサッカーにしましたけど、その前に『スラムダンク』が連載スタートしてハマってたら、バスケ部に入っていたかもしれません。

中一のときにバスケ部の二個上の先輩たちが全国制覇し、その翌年には一個上の先輩たちが全国準優勝するというキセキの世代みたいな先輩たちだったんですけど、もしバスケ部を選んでたらそんな伝説を目の当たりにしていたかと思うと惜しいことをしました。

まあそんな自分の思い出話はさておき、原作が好きであれば好きであるほど、改変、カット、新解釈、取ってつけたようなオリジナルストーリー挿入が許せないんですよ。かといって原作そっくりそのまま再現されても(なんの捻りもなしかい!)と思っちゃうのがややこしいところなんですけど。

アニメは昔は見ていたんですけどね。『スラムダンク』はもちろん、『ドラゴンボール』なども。いつしか見なくなってしまいました。テレビアニメって間延びと引き伸ばしが酷いじゃないですか。誌面で連載中の原作に追いつかせないがための。

それでかったるくなっちゃって。テンポ悪すぎて、見てられるかって。内容うっすいし、少しずつしか進まないし。やっと次の週になったら、最初の5分くらい前回のおさらいだし。

そんなこんなで、いつしかこんなめんどくさい原作至上主義者に育ってしまいました。

だから、映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観に行くつもり、なかったんですよね。最初。

心変わりしたきっかけは、Twitterのタイムラインで「オープニングからガッツポーズもので最高でした」という、公開初日朝イチの上映回で観てきた人の感想を目にしたことです。

オープニングからガッツポーズで感動って、『トップガン マーヴェリック』や『ボヘミアン・ラプソディ』に匹敵するレベルってことか?それって相当だぞ…と少し興味がでてきて、結局その日の夜のうちに観に行くことにしました。

不意にネタバレをくらう前に。

なんせ、その時点では物語のあらすじすら明らかにされていませんでしたからね。事前情報なしで観てほしいという公式の気持ちを汲むことにしました。

公開からひと月半以上経過しましたが、極力ネタバレを避けつつ、観てきた感想を述べていきます。

まず、原作者が自ら監督や脚本も手がけてこだわりに心血を注いでも、こんなふうに大胆な新事実で様変わりするのか…と驚きました。

面白かったかつまらなかったかでいったら、面白かったですよ。感動しましたし泣きましたし。

なんだこれは!この先一体どうなるんだ!?と衝撃の幕開けからのオープニングもむちゃくちゃカッコよかったですし。

アヤコさんも晴子さんからスラムダンクNo.1ヒロインの座を獲りにきているのかと思うくらい可愛かったですし。

原作そのままの絵が生命を吹き込まれたかの如くイキイキと躍動していた作画も素晴らしかったですし、実際のバスケの試合を生観戦しているかのような臨場感やリアルなスピード感、緊迫感や緊張感も凄まじかったです。

試合結果知ってるのに。この先どうなるか知ってるのに。引き込まれて息を呑み、目が離せなくなるのです。

大ヒット上映中ということもあって客席もけっこう混んでるんですけど、誰ひとり、誰ひとりですよ、咳払いひとつしないどころか身じろぎや飲食の物音を立てないくらい静まり返って、空気が張り詰めているんですよ。

しかしそれでも、それでも初回鑑賞後には不満が胸に残っていました。

名場面カットが多すぎたからです。あれもこれも切り捨てられてるじゃないか、と。

映画一本二時間という枠組みを考えたら、大胆なカットはやむを得ないと頭ではわかっていても、納得できるかどうかはまた別の話です。

主人公の過去も壮絶で、いやヘビーすぎるでしょ、暗いし重いよこれは…と勘弁してくれという気持ちがありました。

面白かったけど納得いかなかったところもあって、それでも余韻で原作を何周も読み返してたら、主人公のリストバンドを再確認したり、花道がこの映画の主人公に対して「意外と苦労人でな…」と映画を観たあとにチョー重くなる何気ないひと言を呟いているのを新発見したりして、改めて感動したり感慨深くなったりしているうちに早ひと月が経過して初回鑑賞の記憶も薄れてきたので、おかわりしにいきました。

原作が好きすぎるが故の初回鑑賞時の不満点の再確認、という意地悪目線で。原作至上主義を盾に。

ところがですよ。二回目を観たら、初回に感じた名場面カットへの不満がゼロだったのです。なぜか。不思議なことに。主人公の過去の重さもさほど気にならず。結果、すべてを受け入れて、ストンと胸に素直に落ちてきたのです。

二回目の方が明らかに感動も面白さも上で、しかも前回の不満まで消えたわけですから、評価は完全にひっくり返りました。

二回目に、初回には気がつけなかった細かな描写の意味にも気がついたりして、それがまたよかったですね。はっきりと明言したり説明していなくても、ちゃんと書き込んでるんだということが伝わってきて。

自分と同じように、映画を観たけど原作が好きすぎて納得いかないと感じた人たちは、騙されたと思ってもう一回観に行くべきです。評価がひっくり返る可能性が少なからずあります。

それでもあえて不満点を捻り出すとしたら、三点ほどありますが。

  • 主人公がマネージャーに一目惚れして、彼女の笑顔見たさに自分がチームを強くすると決意した瞬間
  • 主人公が監督を慕って進学先を決めた理由
  • キャプテンとそのライバルの評価が逆転し、対戦相手に主人公の存在感を印象付けた一年前のあの試合

以上、この三点について、映画内できちんと描いてほしかったですね。彼を主人公としたならば。

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挨拶もそこそこに初売りのチラシを母とふたりであーでもないこーでもないと言い合いながらチェックし出したと思ったら、ある一枚のチラシに目を止めた途端、自分に話しかけてきました。

オートバックスのチラシだったんですけども。車のタイヤがそろそろやばいから交換しないといけないんだけどどれがいいのかわからない、と。

いや、そんなの、チラシに載っているタイヤどれも自分の車に履かせたことないからどれがいいかなんておれもわからないよ、と断りを入れつつも、価格.comの最安値やレビュー、メーカー公式サイトのタイヤ性能グラフなんかを見比べながら、相談にのりました。

妹の車のタイヤサイズは三銘柄ほどチラシに載っていたんですけど、この中だったらおれだったらこれにするかなぁ(一番安いし性能もそんなに差がなさそうだし国産だし)と自分なりの判断基準も伝えて、妹もそれにして今のところ満足しているようです。

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年末、洋楽を詰め込んだUSBメモリから音楽をランダム再生しながら白馬を目指していたら、流れてきた『シング:ネクストステージ』のサントラに収録されているTaron Egertonによる”A Sky Full Of Stars”を聴いた姪っ子が「この曲聞いたことある!英語の授業で先生が流した!」と反応したことで、妹(妹もB’zが好き)と『シング』の感想を語り合っていたらちょっと思い出したことがありました。

去年、2022年の大きなトピックのひとつに、大好きなB’zのシンガーである稲葉浩志さんの声優初挑戦がありました。

この報せを初めて知ったときは(絶対ウソだろう、おれは信じないぞ)と真っ向から疑ってかかり、予告編で実際にセリフを喋っている場面を見てなお(ほんとに喋ってるよ。マジかよ…)とその衝撃を受け止めきれずにいたのですが、こうなったらしかたない観てみるかと劇場に足を運んだ私を待っていたのは感動の嵐でした。

泣きました。ものの見事に。

普段「洋画を観るなら字幕に限る」などとイキっていたのに、そんな強がりを粉砕する感動に襲われました。

映画の中で、稲葉さんがB’zやソロ以外の曲をどんな感じで歌うのか?というところが一番の目当てというか楽しみであったのに、いざ歌い出したらその瞬間に感極まって泣いてしまい、どんな歌を聴かせてくれたんだったか記憶にないくらい感動していました。

『シング』の吹き替え、恐るべし。

あと、これは映画を観たあとになってから知ったことなんですけど、この『シング:ネクストステージ』で稲葉さんの歌声を初めて聴いて、そこからB’zの音楽にも興味を持って聴いてみたらファンになり、2022年の全国ツアー”Highway X”にも足を運んだ新規ファンが少なからずいた、ということにも驚かされました。

目から鱗が落ちましたね。目が覚めるというか。B’zクラスの大物バンドになってもなお、声優初挑戦という本業とはかけ離れた筋からの新規ファンの獲得という道もあるのか…と。

周りの声に惑わされずに、いろいろなことに挑戦することって大切なんだな、と。

私、否定的だったんですよ。売れっ子俳優や人気お笑い芸人がアニメ映画の吹き替えしたり、本を書いたり、楽曲を発表したりすることに。

それでパッと売れちゃったら本業の声優や小説家や音楽家がかわいそうじゃないですか。チョロすぎて面白くないですよ。真面目に本気でそれ一本で頑張っている人こそ報われてほしいじゃないですか。

なので、好きな人であれば好きな人であるほど、そういった知名度や地位を笠に着た仕事をしてほしくないな、と思っていました。

そしたら稲葉さんの声優挑戦で見事に泣かされたものですから、その思いに揺らぎが生じました。

もしかして、本業ではない仕事をすることをひとくくりに否定するのは間違っているのではないか?

本人も気がついていなかった才能が本業ではない仕事への挑戦で開花することもあるのではないか?

推しに本業以外のことをして欲しくないと願うのはファンの勝手な押しつけで、推しの可能性を狭めてしまっているのではないか?

応援しているはずが自分勝手な価値観の押しつけで逆に足を引っ張っているのではないか?

その是非には、どうしても個人的な好き嫌いも絡んできてしまうので線引きがややこしく、何でもかんでもやればいいというわけにもいきませんが、少なくとも頭ごなしに全否定することだけは間違っているでしょう。

本業以外への積極的な挑戦に寛容になろう。密かにそんなことを心に決めるきっかけとなった、稲葉さんの声優初挑戦でした。