センチュリーホールでCarly Rae Jepsenの名古屋公演を観たついでに名古屋を満喫してきた

センチュリーホールでCarly Rae Jepsenの名古屋公演を観たついでに名古屋を満喫してきた

Carly Rae Jepsenの名古屋公演当日、半休を取って仕事を半日で切り上げると、一度家に帰って着替えたら、昼飯も食べずに名古屋を目指しました。腹ペコでふらふらでしたが、どうしてもライブ前に食べたい名古屋飯があったのです。

それがこちら。

名古屋を中心にチェーン展開している「感動の肉と米」です。

粗挽きハンバーグ200g二個で1200円。ご飯お味噌汁おかわり自由付き。さらに野沢菜やイカの塩辛や鶏そぼろなど、ご飯のお供も取りたい放題。

ご飯がお釜炊きからの提供を印象づけるイメージを押し出しておきながら盛り付けマシーンだったのと味噌汁がインスタントだったのが残念でしたが、ボリューム満点で美味しかったです。もう少し高くなっても味噌汁が作り置きでご飯がお釜から自分でよそう方式だったなら、全国制覇も夢じゃなかったのでは。

セルフ方式で満足度や居心地の良さよりも回転率や効率に振っているのが、割り切りすぎなような気がしてしまうのはもったいないような。感動の肉と米というには、米の扱いが悪すぎると思うんですよね。

美味しかったですけど、ライブ前に食べる量じゃなかったですね。ビールも飲んでしまったので、めちゃくちゃ苦しかったです…。

ライブ後の余韻はホテルから徒歩圏内のレコードが買えるカフェバーCan Buy Recordsさんで門限ぎりぎりまで一杯飲みながら、と考えていたんですけど、探し方が悪かったせいで見つけられず、狐に化かされたと思って諦めました。あとでスタッフさんから目印を教えてもらったので、またの機会にリベンジします。

ホテルで一泊して翌日は、名古屋に行くことがあったら絶対に行きたいと前々から思っていたJAZZ茶房青猫さんへ。ようやく。

青猫さんは藤が丘駅から歩いてすぐなのですが、駅周辺の道路交通事情がややこしそうだったので、一度八草駅まで車で移動して駅の駐車場に車を停め、愛・地球博以来超久しぶりにリニモに乗りました。

久しぶりに乗ったリニモは、田舎のローカル線みたいな長閑な平和さと近未来都市鉄道みたいな至便性を兼ね備えていて感動的でした。今なお、無人自動運行の最先端はまったく色褪せません。

青猫さんの店内は、こだわり抜いた空間とライティングが醸し出す佇まいがめちゃ渋でした。スピーカーはJBLのS4800。この時はテンションの高いインストジャズのライブ盤が流れていました。情熱的な熱い音で素晴らしかったです。

MCの喋り声がゾクゾクするような生々しさだったので、今度はヴォーカル入りの曲を聴いてみたいですね。

ホテルを予約した時点で、旅行支援で1000円ほど宿泊代が割引されていたのですが、チェックイン時になぜか2000円分のクーポンがついてきたので、帰りながら矢場とんのわらじ定食をいただきました。

明らかに多すぎでめちゃくちゃ苦しかったですが、なんとか完食しました。

そしたら翌日曜日の家での昼飯がとんかつで晩飯がハンバーグ二個だったので、こんなことあるのかと思わず笑ってしまいました。血ですね。血の仕業です。

Eric MartinのMr. Vocalistツアー大阪公演を観に行ったときの思い出

Eric MartinのMr. Vocalistツアー大阪公演を観に行ったときの思い出

13年ほど前のことですが、転職がきっかけで、旅行が趣味の友人と出会いました。

出会ったばかりの頃は当然そんなことは知らずに、休憩時間に話すようになって少しずつ趣味や人となりを知っていくことになるんですが、中でも特に印象深かったのが、結婚していて子供もいるのに、奥さんや子供は家で留守番、ひとりで京都や奈良に観光旅行している、という話でした。

強えな、というのが率直な印象です。さすが九州男児。強い。

その頃の友人の旅行スタイルは、夜行バスで京都に向かい、自転車屋が開くまで暇をつぶし、自転車を借りたら前もって決めていたエリアを集中的に見て回る、というものでした。泊まる場合は、夜は漫画喫茶かゲストハウスで越していたそうです。

出会ってしばらくしてその友人がデジタル一眼レフを購入し、以前に行ったことがある名所にも再訪するようになったために、旅行趣味がさらに加速していくことになるのですが、そんな頃にその友人からお誘いがありました。

「Eric MartinのMr. Vocalistツアー、大阪に観に行かない?」

大阪公演が土曜日だったんですよ。さすがにチケット厳しいんじゃないか、と思いながらも、取れたらいいですよと了承したのですが、まさかすんなりチケット取れて0泊2日ドライブ旅行することになるとは、誘われた時点では夢にも思っていませんでした。

今なら、ついでにどこに寄っていこうか、と考えますけど、カメラを買う前は旅行に興味がなかったので、ついでにどこかに寄るという発想がなかったんですよね。

実際、それ以前はライブを観に大阪や東京に行っても、観光らしい観光はほとんどしたことがありませんでした。

Harem ScaremとSilent Forceを大阪に観に行ったときは、心斎橋のホテルに泊まったものの、晩飯は適当に済ませて朝飯も食べずに午前中には新幹線に乗り込んでとっとと帰ってしまいました。

The Rasmusを大阪で観たときも、どこにも寄らずにライブハウスに直行し、終演後は漫画喫茶で夜を越し、始発の新幹線で帰りました。飯は吉野家か松屋で適当に済ませたはずです。

Museを大阪城ホールで観たときは、次の日仕事だったので車で行って、終演後は一目散に車に戻って帰りました。飯はサービスエリアの食堂で済ませた覚えがあります。

ご当地グルメを食べようという考えもなかったので、クラブクアトロが心斎橋にあった頃に、アメリカ村の甲賀流に一度行ったかどうか…。ハードロックカフェに行こうという頭すらありませんでした。

色々と思い出してたら、ちょっと悲しくなってきました。自分はなんてもったいないことをしていたのだろう、と。

こんな調子だったので、最初、チケット取れてEric Martinを観に行くと決まったとき、自分は(昼前くらいに出て夕方までに会場の近くに着いてたらいいだろう)と考えていました。

だから、友人に「何時頃に出ますか?」と聞いたら「仕事終わったらすぐに出ようや」と返ってきたときには、目が点になりました。はい?マジですか?「ついでに京都を観光しようや」

仕事終わりに寝ずに出発して京都観光の合間にライブ観覧?正気ですか?「眠くなったら寝たらええやん」

今思うと、狂気でしたね。あれは狂気の沙汰でした。

夜中の2時に仕事を終えると一旦帰宅して、入浴と着替えを済ませたら友人と合流し即出発。仮眠しながら8時前に京都着。早朝でまだ人もまばらな南禅寺、永観堂と参拝し、さすがに眠くなって昼間は仮眠。夕方にライブ会場の大阪に移動して、ライブが終わると余韻に浸る間もなく京都に舞い戻り、日帰り温泉で入浴し道の駅で車中泊。二日目は大原三千院を観光。

このとき、友人がデジタル一眼レフで撮影しているのを手持ち無沙汰に横目に見ていてカメラへの興味が芽生え、カメラを買ったら撮影旅行に行くようになり、ライブのついでに観光も楽しむようになり、B’zのライブに誘われ”Ain’t No Magic”でLIVE-GYMを初めて観て、確実にチケット手に入れたさにファンクラブに入会し、となっていくのですから、この友人からの影響は甚大です。私の余暇の過ごし方を一変させた超重要人物といえるでしょう。

それにしても、ハチャメチャなドライブ旅でした。今みたいにスマホもグーグルマップもなかったので、赤信号で止まったスキにジェイソン・ボーンみたいに地図帳をパパッと見て、瞬時に道を確認しながら移動して。

行き当りばったりで限界まで詰め込むドライブ旅は、今思うと無茶苦茶でしたけど、あれはあれでいい思い出というか、楽しかったですよね。渇いていたというか、飽くなき探究心がありましたよ。

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ニュースでフットゴルフ特集を見て、昔似たようなことをして遊んでいたのを思い出した

ニュースでフットゴルフ特集を見て、昔似たようなことをして遊んでいたのを思い出した

ある休日の夕方、ボケっとテレビをつけっぱなしにして眺めていたら、ある新興スポーツの特集が流れました。

ゴルフウェアとサッカーウェアをミックスしたような格好の青年が、ゴルフ場で思いっ切りサッカーボールを蹴り飛ばしていたのです。

それはフットゴルフと呼ばれるスポーツで、それを見た瞬間に、私は30数年前に幼なじみたちと興じていた遊びを思い出しました。

いやぁ、驚きましたね。こんな新スポーツが生まれていたとは。

https://youtu.be/R2U43Kxfmnk
画像はPixabayより

ニュースで目にしたゴルフ場では、サッカーボールがすっぽり入る大きいカップを掘っていましたが、子どもの私たちにカップを掘ることなどできるはずもなく、自宅の前の道路に芝生が生えている箇所があったので、そこをカップに見立てて、わずかにでもカスればインということにしていました。

子どもながらに、『プロゴルファー猿』といった漫画やスポーツニュースなどからゴルフについての上辺の知識は得ていたので、ここからでパー3な、とか、こっからだとパー5かな、などと話し合いながらスコア設定して、疑似カップを狙っておりました。

ショートホールではなんてことない子どもの玉遊び、という趣でしたけど、ロングホールともなると様相が一変していましたね。道路をまたいだり、お向かいさんの庭をショートカット狙ったり、近隣企業の駐車場までホールに組み込んだり。まさにやりたい放題。迷惑にもほどがある遊びに一変。

何度か、通りかかったクルマにボールを跳ね飛ばされたこともあったような気がします。お手入れしている庭を近所の悪ガキどもに荒らされて、お向かいさんも大層ウザがっていたのではないかと愚考します。

襟首掴まれた挙げ句引きずり回されて、怒声を浴びながら殴られ蹴られボコボコにされていたとしても、何も文句の言いようのないどうしようもない遊びに興じておりました。

お向かいさんに怒られた記憶がまったくないのですが、都合の悪い記憶がバッサリ削除されているからなのか、お向かいさんの我慢の限界を超える前に自分たちがその遊びに飽きたからなのか。

フットゴルフをやってみたら、童心に帰れて面白いかもしれないな、と思ってネットで検索してみたら、想像以上にたくさんの常設コースがあることを知って、驚きました。

今後、ますます人気を獲得していく要注目のスポーツであることは、間違いないでしょうね。ゴルフとサッカーのいいとこ取り。広大で美しいゴルフ場で、思いっ切りボールが蹴れる。

サッカーの醍醐味のひとつに、コーナーキックからアシストを狙ったり、直接フリーキックでゴールを狙ったり、といった場面がありますけど、残念ながら、そのような場面でキックを託されるのって、チームでも指折りのごくわずかのキッカーのみなんですよね。

フットゴルフであれば、キックの上手い下手関係なく、ラウンドする誰もが、カーブをかけて木を避けながらグリーンを狙ったり、ボールを浮かせて川越えを狙ったり、アプローチからチップインを狙ったりできるのです。

サッカーのプレイの中でも、フリーキックが好きな人に受けそうな新スポーツじゃないでしょうか。

ゴルフほど用具代がかからないのも大きいですよね。ドレスコードとマナーにさえ気をつければ、ストレス発散にもってこいのスポーツでしょう。

そのうち、ゴルフ用品チェーン店にフットゴルフコーナーが設けられるようになり、サッカーやフットサルから新しもの好きの若者が流れてゆくんでしょうね。

一度体験してみたいなぁ。家からだと、恵那か、富士か、御殿場か。

高校時代、選択授業で音楽を選んだら、クラスメイトの前で自作の歌を披露することになった

高校時代の音楽の授業が風変わりすぎた

「弘志くんの初ライブはいつですか?」

「…?」

「将来、絶対聞かれるよ」

私の人生において、こんな『スラムダンク』の一場面みたいなやり取りはありませんでしたし、そんなことを聞かれるような人生にもならなかったわけですけど、それでも初ライブはいつですか、と聞かれたなら、高校時代です、と答えます。

高校二年の、最後の音楽の授業でした。

今はどうかわからないですけど、私達が現役の高校生時代は、芸術の授業は選択制でした。書道、美術、音楽。この三つの中から、自分が履修したい授業を選んでください、と。

最初、美術を選択していたんですけど、書道がほぼ定員で、美術の希望者があまりに多すぎるということで、誰か音楽に変えてくれないかという話になって、ごちゃごちゃめんどくさい話になる前に、さっさと音楽に鞍替えしました。

どちらかといえば後ろ向きな理由で音楽の授業を選んだわけで、そういった意味では当初はあまり気乗りしていなかったんですけど、世にも奇妙な音楽の授業を受けることができたという面では、得難い経験でした。

その最初の授業でのひと幕が、あまりにも衝撃的すぎて、高校卒業から20年以上が経過した今でも覚えています。酒の席で当時の仲間と集まると、未だに語りぐさになるほどのエピソードです。最初の授業ということで、ひと通り自己紹介したあと、先生から今後の授業方針と成績のつけ方についての説明がありました。

一部、失われた記憶を、こうであったはず、という想像で補完してお送りします。

「音楽の授業といえば、先生がピアノを伴奏してみんなで合唱する、そんな内容が定番ですけど、そんな授業ではみんなもつまらないでしょう。なので、私はそんな授業はしません」

かすかにざわめき、周りを見渡す生徒たち。音楽の授業の人気の無さに絶望して、やけっぱちになっているのか。生徒たちの動揺をよそに、備品室に入り、一本のクラシックギターを持って出てくる先生。

「そこで、みんなにはこのギターを弾いてもらいます。一年の間は、課題曲を決めて、自分でギターで伴奏しながら歌う練習をします。二年になったら、作詞作曲に取り組んでもらいます。コード進行や言葉選びは助言します。最後の授業では、みんなの前でその自作の曲をギターを弾きながら歌ってください」

画像はPixabayより

いやもう、想像外すぎて目が点でした。おそらく、誰ひとり先生の説明についていけてなかったんじゃないですかね。

「成績ですけど、演奏の上手い下手、歌の上手い下手、曲の良し悪し、そんなことは問いません。みんなの前で発表すれば10点。発表しないのであれば2点です。盗作が判明したら1点です。発表するしないは自分で決めてください」

こうして、期せずして生まれて初めてギターを演奏する機会に恵まれることになったのでした。

めちゃくちゃ恥ずかしかったですけど、成績欲しさに魂を売り飛ばした私は、みんなの前で自作の曲を披露し、無事に10点をゲットしたのでした。

え、どんな曲を書いたのかって?

とっくに忘れちまいましたよ、そんなもん。とうの昔に音楽のノートも灰になっちゃってますしね。暗闇の中でひと筋の光、かすかな希望を見い出すみたいな、そんな歌詞のバラード曲を書いた覚えはかすかにあります。

それにしても、弾き語りって難しいですよねぇ。歌に集中するとギターの伴奏がおろそかになりますし、かといってギターに気を取られると歌が怪しくなりますし。

歌いながら弾けるってだけで神業ですよ、私からしたら。