デジタル一眼カメラを、Sony α33からCanon EOS 8000Dに買い替えた理由

初めてのデジタル一眼カメラは、Sonyのα33

私がデジタル一眼カメラを初めて買ったのは、2012年の春です。春の京都旅行の目前に買いました。機種は、Sonyのα33です。

ヤフオクで、サブ機として使っていた美品でレンズ二本付きのお買い得品を見つけ、無事に予算内で競り落としました。

背面液晶が当時はまだ珍しかったバリアングルだったこと、他メーカーの同クラス機種と比べてスペックが高かったこと、この二点に惹かれました。

よく分からないなりに、デジタル一眼に詳しい友人から色々と教えてもらいながら、その画質の美しさに満足して使っていました。当初は。

まあ、何でもそうだと思うんですけど、使い込むうちに分かってくることってあるじゃないですか。それまではなんとも思ってなかったのに、ある日突然見えてくる、粗といいますか、弱点といいますか。

それに対する不満が募りに募って限界点に達したときに、今の愛機Canon EOS 8000Dに買い替えました。2016年の6月頃のことです。

Sony α33の不満点

使い込むうちに抱いた、Sony α33への不満点は、大きくふたつあります。

  • バッテリーの持ちが悪い
  • Aマウントの後継機が出てこなくなった

以上の二点です。それぞれについて、もう少し詳しく書きます。

バッテリーの持ちが悪い

これが最大の不満です。買ったばかりの頃は撮影枚数もそれほど多くなかったため、バッテリーの減りが早くてもまったく気にならなかったんですけど、カメラに慣れて撮影枚数が増えるに連れ、だんだんと心許なくなってきました。

で、予備バッテリーを追加購入したんですけど、バッテリーをふたつ用意しても、一日中撮影していると最後の方は持たなくて撮影したくてもできない、という状況に陥ってしまいました。

これは、α33が当時としては画期的なミラーレス構造で、ファインダーが電子式であったため、背面液晶も合わせると消費電力が高かったためではないかと思われます。

枚数に気兼ねなくじゃんじゃん撮れるのがデジタルカメラ最大の利点であるのに、バッテリーの持ちが悪いがために我慢しなければならない場面が多い、このストレスが存外に大きくて、カメラの買い替えを検討するようになっていきました。

Aマウントの後継機が出てこなくなった

次いでの不満点がこれです。レンズ交換式カメラには、メーカーや機種によって独自の規格が採用されており、α33の適合レンズ規格はAマウントでした。

Sonyが小型軽量が売りのミラーレスカメラの開発に傾注し、そのマウント規格を新開発のEマウントとしたために、交換レンズの互換性が失われてしまったのです。

同じAマウントであれば、本体の買い替えだけで済む話が、レンズも買い替えなければならなくなってしまいました。同一メーカーの製品であるのに。

しかも後継機も出てこないものですから、Aマウントに将来性はないなと考えるようになり、カメラを買い替えるのであればメーカーも変えることを視野に入れるようになりました。

Sony機の色合いも好きだったんですけどね。

あと、電子式のファインダーも便利でした。撮影設定の変更が、ファインダーにも反映されるため、明るさの調整がやりやすかったのです。

Canon EOS 8000Dを約三年半使ってみて

Canonのデジタル一眼レフEOS 8000Dは、2016年の6月から使い始めたので、約三年半が経過していることになります。前機のα33と同じくらいの期間を使い込んだことになるので、それと比較してどう感じているか、かんたんに触れておきます。

  • バッテリーの持ちには大満足
  • 鮮やかな発色が素晴らしい
  • EFマウントレンズの充実は素晴らしい
  • ちょっと重い
  • EFマウントの未来に暗い影

ちょっとネガな部分もありますが、前機の最大の不満であったバッテリーの持ちが大幅に向上したので、これだけで買い替えてよかったと実感しています。

将来的な不安があるとすれば、CanonもSonyに続いてミラーレス機の開発に注力しだしたことですね。しかも、フルサイズミラーレスではRFマウント、APS-CミラーレスではEF-Mマウントという、新規格で。

レンズアダプターも用意されているので、神レンズがたくさんあるEFマウントが切り捨てられるなんてことはないと信じたいんですけど、ミラーレス機に比べて、一眼レフ機の後継機の発表ペースも落ちているように感じるので、不安は拭えません。

あとは、もうちょい軽いカメラだったならより最高でしたね。

ただ、そうなるとバッテリーも小型で持ちが悪くなってしまうというジレンマ。

最後に

最後に、何枚かずつ、それぞれの機種で撮った写真を載せておきます。

Sony α33で撮った写真

Canon EOS 8000Dで撮った写真

次期愛車の希望ナンバー候補

愛車の調子がどうにも今ひとつで、ピリッとしない。

走っていて急にエンジンが止まってしまうとか、エンジンを掛けなおそうとしてもなかなか掛からないとか、アイドリングが安定しないとか、そういった致命的な状態にまでは陥ってはいないのですが、以前と比べて、明らかにどこかがおかしい。

まあ、17年落ちで走行距離も21万キロに迫ろうとしている現状を考えれば、仕方ないでしょう。むしろ、今までが何もなさすぎて、それで油断していたと言えるかもしれません。

整備工場に持ち込んでは色々と診てもらったのですが、マシにはなっても完調はしていないので、さすがに考えるようになりました。

乗り換えを。

いや、ホントは乗り続けたいんですよ。色々と自分で手を加えて自分好みの仕様に仕上げたというのもあって、感慨というか愛着というか、思い入れもありますからね。

でもその一方で、17年落ちで21万キロ近く走っている車両に、これ以上金を注ぎ込んでどうするのかと、一歩引いて冷静に考えている自分もまたいるんですよね。

何気に一番がっくり来たのが、リアのエンブレムが取れちゃったことですね。走行中に。めっちゃ強力な両面テープで貼り付けられているので、自然落下なんてほぼほぼ起こり得ないはずなのに。

これで、もういよいよだな、と実感してしまいましたね。

車検が近いので乗り換えを考え始める

こんな現状なので、車検が迫っているのを機に、乗り換えを考え始めました。タイミングよくいい出物があれば、と。

まあ、それがなかなか見つからないんですけどね。

どうやら自分の需要はちょっと特殊なようで。次期愛車探しの最低条件は、たったの三つなんですけどね。

  • ワゴン
  • 四輪駆動
  • マニュアル

それでいて、カスタムの方向性が自分の好みと近ければ嬉しい。

しかし、このたった三つの条件を満たす車両の、少ないこと少ないこと。近隣だけではまずめったに出てこないので、全国を視野に入れて探すハメになります。

最悪、マニュアルは諦めるしかないかなと考えていますが、前の愛車はそれであっという間に飽きたので、妥協するべきではないとも考えています。

まあ、こればっかりは運ですね。

ちょうどいいタイミングで、これしかないという車両が出てくるかどうか。

次期愛車の希望ナンバーを考える

車を乗り換えるにあたって、私の場合は条件的に中古で探すことになるので、タイミングよく望む車両が出てくるかどうかというのももちろんですけど、乗り換えを決断したとして、ひとつ検討すべきことがあります。

取得ナンバーを希望すべきかどうか。

前までは、車のナンバーなんてどうでもいいと思っていたんですけどね。愛車に好きなものや思い入れのあるものにちなんだナンバーをつけるのも一興かもしれないと、考えを改めつつあります。

次期愛車の希望ナンバー候補

では、愛車のナンバーを希望するとしたらどうするか、ちょっと考えてみましょう。

名前から

  • 「・164」(ひろし)

地域名

  • 「・531」(湖西市)
  • 「・510」(古都)

我が心の富士山

  • 「37-76」(富士山頂の標高)
  • 「・223」(富士山)

スバル大好き

  • 「22-15」(富士重工)
  • 「・555」(スバルラリー)

愛機にちなんだナンバー

  • 「80-00」(キヤノンのカメラEOS 8000D)
  • 「30-14」(ダカフェレンズ)
  • 「43-05」(JBLのスピーカー4305H)

バスケから

  • 「10-31」(天才=桜木花道)
  • 「11-23」(流川とジョーダン)
  • 「45-23」(ジョーダン)
  • 「33-23」(ジョーダンとピッペン)

サッカーから

  • 「・・12」(サポーター)

音楽から

  • 「81-69」(ハード・ロック)
  • 「69-49」(ロック・ミュージック)
  • 「・501」(Fair Warningの名盤『Go!』)
  • 「・667」(Wig Wamの1stアルバム)

漫画から

  • 「19-19」(冴羽獠の愛車と同じナンバー)
  • 「56-56」(『ワンピース』)
  • 「・373」(『タッチ』)
  • 「・116」(『H2』)

主張が強すぎたり、ゾロ目やよく見かけるナンバーは除外

町中をクルマで走ってて、よく見かけるナンバーとかあるじゃないですか。ゾロ目とか、今人気のエンジェルナンバー(笑)とか。

あと、主張が強すぎたり。そういったナンバーはあんまり自分の愛車には付けたくないかな。

どうせナンバーを希望するなら、そこらじゅう走り回ってる人気のあるナンバーじゃなくて、自分の愛車のナンバーはこれじゃないと、っていうナンバーを付けたい。

ランダムで変なナンバー来ても、ちょっときついものがありますよね。例えば「・931」とか。こんなナンバーが来たら泣ける。あんまりでしょ。

  • 「10-01」
  • 「80-08」
  • 「25-25」
  • 「・777」
  • 「・358」
  • 「・315」
  • 「・625」
  • 「・・・1」

この辺のナンバーは選外ですかね。

結局、取得ナンバーは希望せず

こんな感じで、妄想をたくましくしていたわけですが、いざ実際に乗り換えるとなったら、結局取得ナンバーは希望しませんでした。

想像していたよりも費用が高かったのがその理由です。

別にどうでもいいけど、せっかくだから希望したいナンバーを考えてみるか、その程度でしたから、希望ナンバーの取得費用が約一万円と言われて、やっぱりどうでもいいや、となった次第です。

白馬で絶景の紅葉ハイキングの予定が台風に吹き飛ばされたので、プランCに移行して高山市街地を散策してきた

10月の体育の日の三連休、白馬でちょっと早めの紅葉を眺めながら、絶景ハイキングを楽しもうと宿も予約して楽しみにしていたんですけど、まさかの台風直撃でその予定が吹き飛ばされてしまいました。

行きたかったなぁ、栂池自然園白馬岩岳マウンテンハーバー

ギリギリまで天気予報とにらめっこして、なんとかして行けないものかと気を揉んでいたんですけど、どう考えても直撃コースで無理だったんで、台風一過の翌日に日帰りで高山市に向かいました。

私が住んでいる地域は、幸いにも台風の被害がほぼなかったので、取れた行動です。

プランB、乗鞍畳平を散策しよう、と。

浜松から東方面は、高速道路がすべて通行止めになっていたんで、西に行くか北に行くかの二択から、北を選びました。

今、冷静になって振り返ると、よくこんな状況で出かけたなと呆れますけど、このときは楽しみにしていた予定が吹き飛ばされて怒り心頭で、我を忘れていたフシがあります。

東から車が全然来ないため、ガラガラの新東名をマイペースで流せて、快適なドライブでした。

道路には特に異常もなく、快調に目的地に向かっていたのですが、乗鞍畳平に至る道路である乗鞍スカイランが、朝7時すぎの時点で通行止めでバスも運休していたため、さらなるプランの変更に迫られてしまいました。

白川郷に行くか、高山市街を散策するか。

高速のパーキングエリアでしばしの協議の末、高山市街地を散策することになったのでした。

高山市街地を散策

高山市を散策することにしたはいいものの、ひとつ懸念事項がありました。

あれ、ひょっとしてちょうど秋の高山祭の時期じゃなかったか?

心配になって調べてみたら、毎年10月9日から10日にかけて開催されているそうで、被らずに済んでホッとしました。ただでさえ賑わう高山市内が、とんでもない大混雑になってしまいますからね。

高山駅の近くのコインパーキングが、土日祝日に関係なく上限価格を設定している親切仕様だったので、そこに愛車を停めて散策に繰り出しました。

名鉄協商パーキング最高。

今回の撮影機材

今回のカメラは、キヤノンのデジタル一眼レフEOS 8000D、レンズは純正標準ズームEF-S18-135mm IS STM。この組み合わせでのマニュアル撮影です。

高山陣屋から散策開始

高山駅のすぐ近くに愛車を停めたので、観光情報を求めて駅に行くも、インフォメーションは開いていませんでした。

幸い、そのすぐ横に観光案内用の看板が立っていたので、それを参考にざっくりと観光ルートを決めました。

高山陣屋からスタートして、昔の町並みを眺めながら北に向かって歩いて、15時位までに愛車に戻ってくる、そんな感じで。

歩きだしてすぐ感じたのは、外国からの観光客の多さですね。

これは多分、秋の高山祭を目当てで来て、そのまま残っていたのでしょうね。すれ違った人たちのうち、九割方が外国の方々でした。

この日はめっちゃ寒かったです。高山市は14℃ほどでした。

乗鞍スカイランが通行止めでプラン変更になって、命拾いしましたね。通行止めになってなくて突撃してたら、凍死してたかもしれません。山の上はおそらく真冬並みだったと思われるので。

高山陣屋のお庭はめちゃくちゃ素晴らしかったですね。

私は六年ぶりに訪れたのですが、前回こんなに感動したっけ? まったく覚えがないのでその時に撮った写真を見返してみたら、お庭には見向きもしてなかったようで、一枚も撮ってませんでした。

どうりで記憶にないはずですわ。

月日の経過に伴い、観点や興味が移り変わった結果と言えるのかもしれません。

高山市は、街角のそこかしこから香ばしく美味しそうな匂いが漂ってくる街で、食べ歩きへの誘惑が激しかったです。匂いに負けてみたらし団子買っちゃいました。

他にも、飛騨牛コロッケとか牛串とか、ソフトクリームとか。お店を見かけるたびにいちいち後ろ髪引かれまくりで、断ち切るのが大変でしたよ。

高山市で撮ってきた写真

大宮でサッカー観戦ついでに、埼玉を観光してきた

2019年9月28日、ラグビーW杯で日本代表がアイルランド代表に逆転勝ちした歴史的な日に、私は埼玉県のさいたま市大宮区にいました。

目的はサッカー観戦です。J2リーグの大宮アルディージャ対V・ファーレン長崎の一戦、長崎出身の友人と、長崎を応援するために遠征しました。

まあ、遠征の甲斐なく、試合は残念な結果に終わったのですが、勝負は時の運、勝つときもあれば負けるときもあるわけで、こればっかりはどうしようもないですね。

しかしなかなか勝てないですね。長崎出身の友人とは、五試合ほど一緒に遠征しているんですけど、一分四敗ですからね。まずいですね。このままでは、疫病神疑惑が浮上してしまう。

試合観戦後、居酒屋でやけ酒しながら、ラグビーの日本対アイルランドをパブリック・ビューイングするべきだったなと愚痴ってしまったのも、今となっては楽しい思い出。

サッカー観戦ついでに、埼玉観光

さて、私が住んでいる静岡県西部地方から埼玉県までは、車で片道約五時間。なかなか遠いんですよね。

そこまで時間をかけて行くからには、サッカー観戦以外何もしないというのももったいない話になってしまうので、ついでに観光してきました。

私たちが埼玉に行く少し前に、我らがWorld’s End Motorcycle ClubのボスであるRayさんが埼玉にツーリングされていたので、聖地巡礼にもなりました。

今回の撮影機材

今回のカメラは、いつものようにキヤノンのデジタル一眼レフEOS 8000D、レンズは純正標準ズームのEF-S18-135mm IS STM。この組み合わせでのマニュアル撮影です。

トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園

まず向かったのは、埼玉県飯能市にある、トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園です。

トーベ・ヤンソンはフィンランド出身の作家で、ムーミンの生みの親です。

なぜムーミンの生みの親にちなんだ公園が埼玉県飯能市にあるのかは謎ですが、のどかな風景の中にメルヘンチックな建造物が散見する、ちょっとした異世界気分が味わえそうな公園を、カメラ片手に散策してきました。

ムーミンたちの家って、こんな感じの建物でしたっけ? 昔アニメ見てましたけど、建物はあまり記憶になくて。風景やキャラはなんとなく覚えてるんですけど。

珍妙というか可愛らしいというか個性的というか、とにかく珍しい造形で目を引く建物ばっかりです。

背景に林立している背の高い木々は、メタセコイアです。滋賀県の、あの並木で有名な。この公園のポスターも紅葉時のものが飾られていたんですけど、紅葉の時季はまた一段と美しそうです。

大勢の家族連れで賑わっていました。無料でこの美しい景観。素晴らしい公園です。

川越大師 喜多院

埼玉を観光するとなれば、川越は外せません。

まずは、川越大師 喜多院へ。江戸時代に火災で消失されたそうなのですが、江戸城から三代将軍徳川家光誕生の間が客殿として、春日局化粧の間が書院として移築されており、徳川幕府との縁が濃い寺社です。

手水舎といえば龍。これはもうお約束のようなものですが、二頭が絡み合うかのような造りは珍しいんじゃないでしょうか。

渡り廊下から望む、客殿と季節感豊かな庭園。

渡り廊下の真ん中で左右に張り出している部分が、腰掛けになっています。ここで涼しい風に当たりながらお庭を眺めていたんだろうなと、ちょっと温かい気分に。

想像以上に広大で、見応えたっぷりの寺社でした。

川越城本丸御殿

次いで、川越城本丸御殿へ。すぐ横に駐車場があって、受付で駐車券に押印してもらえば、無料で一日車を停めておくことができます。

ちょっと距離はありますが、川越のシンボルである時の鐘まで、全然歩ける距離です。ただ、真夏の炎天下ではちょっときついと思うので、途中にあるカフェで休憩したり、ソフトクリームを食べたりして、乗り切りましょう。

整然と美しい屋根瓦。

まさか、自分に屋根瓦フェチの気があったとは。

気持ちいい風が通り抜けていたお庭。

縁側最高。

川越の町並み

最後に、川越の町並みを散策しながら、食べ歩きを楽しんできました。

川越のシンボル、時の鐘。下から見上げると、その存在感がすごい。

観光客でめちゃくちゃ賑わってました。もうちょっと写真撮りたかったんですけどね。撮影に熱中すると周りから邪魔になってしまうので、そんな余裕はなかったです。

ここでも瓦を撮っていた。めったに見ない珍しい造形に惹かれたのでしょう。

#WEMC

最後に余談。

私はバイクに乗っていないんですけど、モトブログはちょいちょい観てます。

完全にRayさんの影響ですね。数年前におすすめに上がってきて、観てみたら面白かったので、そこからハマってしまいました。

引き出しの多い即興の話術に引き込まれます。

中山七里の御子柴弁護士シリーズ三作品を一気読みしたので、その感想

何事もそういうところがあると思うんですけど、気が乗らないとなかなか進まなくて、乗りに乗っていると一気に捗る、そんな側面があるじゃないですか。

それが、たとえ大好きなことであったとしても。

私は小説を読むのが好きで、中でもミステリー小説が特に好きなんですけど、ここ数年は読書熱が停滞気味で、好きな作家の作品が文庫化されるととりあえず買うものの、なかなか手を付けられずに積読化するという悪循環に陥っておりました。

その裏には、期待に達していないと作品の世界にのめり込めずに集中が続かず、期待以上に面白いとふと気がつくと数時間経過していて、いやこれどっちにしろ微妙じゃないか、そんな思いがあります。

せっかくお金を出して買った小説、面白ければそれに越したことはないのですが、それでもいつの間にか数時間ワープはちょっとキツイものがありますよ。

そんな折、お盆休みに、ここ数年では珍しく読書が捗って、一気に何冊も読み進めることができたので、そのときに一気読みしたシリーズ物の感想をまとめます。

画像はPixabayより

中山七里の御子柴弁護士シリーズ三作品を一気読み

その中の三冊が、講談社文庫から文庫化されている、中山七里の御子柴弁護士シリーズです。

この作家の作品は、この御子柴弁護士シリーズで初めて読みました。

以前から、目を付けてはいたんですよ。本の裏にある粗筋を読んで。めちゃくちゃ面白そうだな、と。

御子柴礼司は被告に多額の報酬を要求する悪辣弁護士。彼は十四歳の時、幼女バラバラ殺人を犯し少年院に収監されるが、名前を変え弁護士となった。三億円の保険金殺人事件を担当する御子柴は、過去を強請屋のライターに知られる。彼の死体を遺棄した御子柴には、鉄壁のアリバイがあった。驚愕の逆転法廷劇!

講談社文庫中山七里『贖罪の奏鳴曲』粗筋より

いやもう、強烈すぎじゃないですか? この粗筋。もう興味津々ですよ。

ただ、設定がトリッキーというか、ちょっと癖が強そうだなという直感も働きまして、実際に買うまでにはかなり逡巡しました。

ちょっと捻りを効かせすぎなんじゃないのかな。大丈夫かこれ?

この手のアオリは、あんまり素直に鵜呑みにしてしまうと、肩透かしを喰らいがちなので、慎重にもなります。

積読がやばい状態になっているのにも関わらず、好きな作家の文庫新刊がなかなか出てこなかったものですから、新規開拓するかと、思い切ってこの御子柴弁護士シリーズを購入したのでした。

講談社文庫 中山七里 作品リスト

2019年9月現在、講談社文庫からは、中山七里の御子柴弁護士シリーズは三作品刊行されています。

私は知らなかったのですが、2015年に『贖罪の奏鳴曲』はテレビドラマ化されていたそうです。

まあ、仮に知っていたとしても、見なかったですけどね。テレビドラマを見る習慣がないというのもありますが、私、大っ嫌いなんですよね、小説や漫画の安易な実写ドラマ化や映画化が。

好きな作品であればあるほど、この傾向は顕著でして。

まず映像作品を観てから原作小説を読むのであれば、原作小説を読むときにその場面を想像しやすくてまだ受け入れられるんですが、先に原作小説を読んじゃうと、もうだめですね。

私は小説を読む時、頭の中にその場面を想像しながら読んでいるんですけど、そのせいか、先に読んでしまうと、こうあるべきという固定観念が出来上がってしまうのです。

そこから外れていたり、好きなエピソードが改変やカットされていたりすると、それがもう許せないんですよね。絶許です。画面から溢れんばかりの原作愛が感じられない映像化は絶許です。

もっとも、これはただの私のこだわりで、作品の出来や良し悪しにはまったく関係ありません。

逆に、実写映像作品は好きだけど小説は嫌い、という人もいるでしょう。中には、小説と実写映像作品は別物と割り切って、どちらも楽しめる人もいるでしょう。

そういった意味では、私は損をしている残念な人間なのかもしれませんね。

『贖罪の奏鳴曲』を読んだ感想

御子柴弁護士シリーズ第一作。

粗筋を読んで面白そうだと期待していたものの、捻った設定に頼り切った物語進行だったらちょっとキツイなと危惧していたのですが、まったくの杞憂でした。

ただ単に設定を捻っているわけではなくて、それを最大限に活用しつつ重厚な物語のプロットに組み込んでいます。

中盤に御子柴の過去のエピソードが挿入されるんですけど、これがやけに長かったので、この残り枚数でどうやって畳むのか心配にもなったんですけど、終盤の怒涛の展開にはしびれました。

『追憶の夜想曲』を読んだ感想

御子柴弁護士シリーズ第二作。

第一作がめちゃくちゃ面白かったので、久々に一日に二冊、一気に読破。

ミステリー小説が好きでよく読んでいる人ならば、途中ですぐにこの作品はあのパターンか、と予想がつきます。なるほど、真犯人を庇ってるパターンか、と。

で、数学の公式に当てはめるかのように、てことはAが怪しいと思わせといて実は真犯人はBでしたってオチかな、と予想しながら読んでたら、そんな浅はかな予想をあざ笑うように数段深く作り込まれてて、無防備なところに死角から強烈なワンツーをくらってしまいました。まともにアゴに。

頭がくらくらする。ここでこの設定をこんな風に活かしてくるとは、中山七里恐るべし…。

『恩讐の鎮魂曲』を読んだ感想

御子柴弁護士シリーズ三作目。

緻密な構成とどんでん返しの妙は相変わらずでしたが、その切れ味にはやや物足りなさを覚えました。

まあ、前二作のインパクトが凄まじすぎました。これで、三作目まで前二作に勝るとも劣らない出来の逆転法廷劇をぶっ込んできたら、「ええい、中山七里は化け物か!」という話になってしまいますからね。

シリーズ開始当初、冷血漢だった御子柴弁護士に、だんだんと血が通いだしていてホッとします。

目的のために手段を選ばずに、手際よく外堀を埋めてから猛進、それがまた皮肉や嫌味への意趣返しとなっているので、スカッとします。

三作もシリーズをぶっ続けで読むと、さすがに御子柴に感情移入しちゃいますね。

中山七里、一躍好きな作家のひとりに

いやぁ、中山七里の御子柴弁護士シリーズ、素晴らしかったです。一躍、好きな作家のひとりとなりました。

斜に構えて、トリッキーな設定に逡巡していたかつての自分の尻を蹴っ飛ばしたい気分です。それにしてもこの展開力と構成力は凄まじい。頭の中を覗いてみたいくらいです。

他の作品に、別のシリーズの登場人物が顔を出すこともあるみたいなので、伊坂幸太郎のように、世界の並列展開というか繋がりというか、そういった要素も楽しめそうです。